我的大熊猫旅行

主にパンダ遠征記録、パンダ記事が中心、時々歴女やグルメレポな記録もあり。

2023年7月29日小田原ことりっぷ3-2〜江之浦測候所②〜

竹林エリアへ。

ここから下っていくようだ。

遊歩道は出来ているが舗装はされていない。ハチもいた。HPにも掲載されていたが、歩きやすい靴と肌を露出しない服装は正しいと思った。アブラゼミツクツクボウシが一緒に泣いていたのが印象的だった。下へ下へと下っていくのだが、本当にこの道で合っているのか途中不安になった。山林の中を歩く、気分は昔の旅人だった。

ようやく小屋に辿り着いた。案内役のおじさんが待機していた。

この小屋は「化石窟」と名付けられている。昭和30年代、蜜柑栽培が活況していた頃に建てられた道具小屋を整備したそうだ。

昭和レトロな棚には、古代ペルシヤの青銅斧や人類初の文字が描かれた楔形文字の粘土板が展示されている。

5億年前の化石をはじめとする各時代の化石が展示されている。杉本氏のコレクションのようだ。

紀元前のアンモナイトの化石などに紛れて、豊臣秀吉軍の禁令立て札があった(窓枠の右側)。小田原征伐の際に建てられたもので、狼藉、放火を禁止する内容が書かれているようだ。

当時小屋に残されていた蜜柑栽培のための道具類も展示されている。

案内役のおじさんに裏手も見学してみて下さいと言われたので、裏手に行くと根が複雑に絡まった巨木があった。

私はこの木に感動していたのだが、後でパンフレットを見返してみると、この木の下に見える岩が見どころだったようだ。そしてその岩の下に縄文時代の石棒が祀られていたようだ。どうやら見るポイントが少しずれていたようだ。しかしよく見ると先程の秀吉軍の禁令立札の映った画像の窓から、その岩と石棒がうっすらと映っているのを発見した。だがこの木にもただならぬ生命力を感じた。

道具小屋を後にして先に進むと、「数理模型0010」に出会う。

とても奇麗に手入れされた竹林の中を進む。

被爆宝塔塔身」

室町時代の石造宝塔。広島原爆により塔身部分だけが残されたようだ。元はどんな姿だったのだろう。パンフレットによると「屋根の部分は熱線と放射線により瞬時に破砕されたと思われ、斜め上方からの被爆により片側の石の表面が大きく損傷を受けている。原爆の破壊力の凄まじさが石に刻まれている。」とある。写真を撮影した時は何かよくわからず気になったので撮影しただけだったが、後からパンフレットを見返してみると、実はすごいものだったことに気が付いた。次回来た時に石の損傷を確認してみようと思う。

春日社の鳥居を進む。

隠れキリシタン地蔵像」

三方に地蔵像が彫られており、背面には十字架が刻まれているそうだ。

夏至光遥拝100メートルギャラリーを下から見たところ。海抜100メートル地点に100メートルのギャラリーが立っているのだ。

茶室「雨聴天」

豊臣秀吉による小田原征伐の際、千利休も同行している。一夜城ヨロイヅカファームに行く途中の石垣山農道沿いに、小田原征伐に参陣した主な武将の看板が所々に立てられているのだが、その中に千利休もあった。武将でもないのになぜ千利休が?と思ったが、その看板には「陣中で茶会を催し、諸将の苦労を慰めた」とあった。その小田原征伐の際に秀吉が利休に命じて作らせた「茶室 天正庵」跡がこの施設のすぐ近くあるというのだ。杉本氏はこの土地(江之浦)の記憶を茶室にも取り込むことにしたようだ。この土地にあった錆果てた蜜柑小屋のトタン屋根を慎重に外してから、再度茶室の屋根とし、利休が今の世に生きていたら使ったであろう素材を錆びたトタンと見做したそうだ。天から降る雨がトタンに響く音を聴く、ということで「雨聴天」と命名したそうだ。「有頂天」から転じて「雨聴天」かと思ったが、全く関係ないようだ。英訳でも「Listen to the rain」とされている。それにしてもトタンだと雨の音がかなり大きく響くのではないかと思った。

小窓から茶室内部を覗いてみる。とても狭い空間だ。

ここにも止め石が置かれている。至る所に置かれている。立入禁止看板より風情があっていいと思った。

「鉄灯籠」

永久寺にあった桃山時代のものと推定されるそうだ。

「鉄宝塔」

鎌倉時代西大寺の系統に属する工人が作ったものと推定されるそうだ。

「旧奈良屋門」

箱根宮ノ下にあった名旅館「奈良屋」の別邸に至る門。平成13年(2001)の廃業に伴い箱根町からこちらに寄贈されたものだそうだ。

再び入口に戻る。

「名月門」

鎌倉にある明月院の正門として室町時代に建てられた。その後、色々なところを転々とし巡りに巡ってこちらに寄贈されたものだそうだ。

枯山水庭園だろうか。

天平時代の東大寺七重塔礎石が置かれている。

この庭園に背景が青い海だなんて、ここでしか見られないのではないだろうか。

法隆寺創建時の「若草伽藍礎石」

根府川石を使用した「浮橋」

近隣の根府川石丁場から採取された根府川石を、地表から僅かに浮かせて設置したそうだ。

これで一通り見て回った。初めてだったが、もらったパンフレットもろくに見ず適当に行き当たりばったり回っていた。後でパンフレットを見返すと、見落としがあったりしていたところがいくつかあった。そして読み返すと後から発見したことも多い。ここは景色だけではなく、人類の歴史を感じ取れる場所でもあったのだ。季節によって見え方も違うだろう。次は冬に来ようと思った。その時は、今回とはまた違った見方が出来るような気がした。

最後に併設された「ストーン・エイジ・カフェ」で一休みすることにした。

杉本氏は「農業法人株式会社植物と人間」も経営している。耕作放棄地の再生を目指し柑橘類の農薬不使用栽培を行っているそうだ。農薬を使用しないため、形が不揃いになったり果皮に黒ずみが見られることがあり、見た目の理由から出荷できない柑橘を有効活用したいという思いからこのカフェを始めたそうだ。

カフェそのものもとてもお洒落だ。

コーヒーと柑橘のドリンクといくつか種類があった。柑橘のシャーベットもあった。

柑橘シロップの炭酸ソーダ割(500円)にした。中に柑橘の薄切りや果肉も入っていたが、食べられると書いてあった。とてもおいしかった。海を眺めながら、しばらくぼーっとしていた。

帰宅してから杉本氏の著書「江之浦奇譚」を購入した。この測候所の設立に至る経緯などが備忘録形式で書かれている。まだ途中だが、新しい発見が出来て面白く読んでいるところだ。次にまたここに来るのが楽しみだ。これで「2023年夏にやりたいことリスト」の2つ目を達成した。3-3へつづく。